怪奇幻想映画の巨匠として知られるベルギーのハリー・クメール監督が、奇想と恐怖、独特のエロティシズムに満ちた耽美的な映像で描いた吸血鬼映画。ベルギーの港町オステンド。ホテルに宿泊した新婚夫婦は、謎めいた優雅な伯爵夫人との出会いをきっかけに、禁断の世界へと引き込まれていく。「去年マリエンバートで」のデルフィーヌ・セイリグがエレガントでミステリアスな伯爵夫人を演じた。「冒険者たち」「サムライ」のフランソワ・ド・ルーベが音楽を担当。日本では、「奇想天外映画祭 Bizarre Film Festival Vol.3」(2021年9月4日~24日、東京・新宿K's cinema)で劇場初公開。
赤い唇評論(1)
Countess : Love is stronger than death... even than life.
現代の映画では欠かせないCGエフェクトや高性能音響システムの影も形もない’70年代のユーロ・ホラーがレストアされ4Kで蘇る... 最初は無駄な行為だと見る側の自分自身にとがめるように
"But...I remember that you stayed here 40 years ago, when I was
a bellboy," he says. "And you have not changed - not in all those
years!"
40年前と姿、若さ、オーラ全てが変わっていないと驚くコンシェルジュをしり目に「私のお母様だわ」なんてウソブク、伯爵夫人。
最初はイタリアが生んだホラー映画のサブジャンル、ジャッロ映画とテッキリ思っていたけれども、シンセサイザーの音楽なんかはフィルムスコアに使われていても肝心要のゴア表現が何時まで経っても出てきたりはしないので、拍子抜けをしていると若い女性の血を抜かれた他殺死体も被疑者不詳だし、死体にカバーをかけて見せはしない。
ラストにチラ見程度の血が手首から流れるシーンがあるけどゴアなんかではない。
Countess : After a while, it'll only be the remembrance of a bad
dream, and then the remains of a remembrance. More
and more faint in your mind. I have seen many a night
fall away into an even more endless night.
’70年代に入る前までは、現在のレイティング・システムがなかったために検閲であったり、宗教団体の抗議などが映画と関係のないところで独り歩きをし、ボイコットという脅しをかけられることもあったのは事実として、’70年代の初頭が分水嶺として、暗喩的な表現や変わったキャラとしてしか登場しなかったものが、その頃より徐々に質の高いLGBTを描くことをメインに映画も公開され始めたことで、LGBT映画の黎明期と言ってよいのかもしれない。
スクリプト展開としては、伯爵夫人のエリザベスをプリンシパルとし、彼女を中心に話が進んでいく本作。彼女のレトロでブロンドのネッスルウェーブとラメや血の色よりも鮮やかな真っ赤のドレスを着こなし、そして最初は、結婚したてのチルトン夫妻に穏やかに接していたものが、お付きのイローナが亡くなるとそれまでは、どうにもこうにも進まなかったプロットが後半に向けて話の展開がやや加速し始める。
この映画は、芸術的吸血鬼映画と言われているけど、その血を吸う場面もワンシーンほどしかなく、全体の映画のイメージとしては、ラテックスに身を包み、鞭でバンバンとシバキ上げたり、赤い革のピンヒールを舐めさせるような場末のSMの女王様ではなく、ゆっくりと言葉だけで人をいたぶる高級志向のじらすテクニックを持っている... そんなエリザベス女王様にしか見えませんでした。
無能な旦那のステファンをバレリーから計画的に引き離し、バレリーを自分自身の虜にするあたり... 話の流れがようやくラストを迎えるあたりから見えて来る。
19世紀に書かれた「ドラキュラ」は当初、アンデッドという題名だったとか?
そのことから、数百年間も同じ古い皮を着ていたことで、それを脱ぎたいたがるエリザベスさんでした... 何故って、リップシンクをわざわざバレリーに使っていたから⁉
この映画を吸血鬼伝説と捉えるなら、凄く詰まらない映画で話も進まないし、盛り上がる場面もほとんどないので、見るのを諦めたほうが良いかも... ただし、これをエロティックな話術だけによるサディスティックな映画と捉えるなら、また違った見方もできるかもしれない。