1票のラブレター
プロット
イラン・イタリア合作
01月25日 2003 台灣上映
世紀の取り引き
プロット
アメリカ
01月01日 1900 台灣上映
しのび泣き
プロット
フランス
02月01日 1949 台灣上映
私の頭の中の消しゴム
プロット
韓国
10月22日 2005 台灣上映
素晴らしき、きのこの世界
プロット
アメリカ
09月24日 2021 台灣上映
愛のむきだし
プロット
日本
01月31日 2009 台灣上映
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引き出しの中のラブレター評論(20)
この作品の、とくに前半における居心地の悪さは、
タイトルがある意味、代弁してくれている。
引き出しの中(つまり長い間そのまま)のラブレター。
出すなら出す。また、読むなら早く読めばいいのに!
いつまでも決心がつかない。まさにその感覚なのだ。
でもふと考えてみると、人間ってそんなもんかもな。
と思えてくるから不思議だ。
中盤以降、話にグッと深みが増し始めるのは、
誰もが思うようにスラスラと気持ちを語れはしない。
そんな不器用な生き方もいいんじゃないか。と
(この感覚は人それぞれ)認められるようになるからだ。
…ここで描かれる父と娘の関係。
これがまた我が家の状態とピタリとはまって参った^^;
父はまだ健在だ。(爆)たまに会話も、あるにはある。
だが、小さい頃からほとんど口を利いたことがない。
思うに父は、愛情を示すのがものすごく下手な人で、
子供の扱いも上手くない(爆)なのでなつか(け)ない。。
うんと褒めてもらったことも、頭をなでられたことすら
ほとんどないのに、叱り飛ばす時だけは威勢がいい。
今作に出てきた父親同様、心ない言葉を娘に浴びせ、
こちらの心軸を見事に折り曲げてくれるわけだ…(T_T)
どうして私と父は、他の家庭みたいになれないのかと
父娘仲の良い友人を見て、いつも羨ましかったものだ。
人間には相性があるが、それは親子でも存在する。
決して人間的に悪いわけではないが、合わないヒト。
誰よりも大切に想っているのに、素直に言えないヒト。
そういう不器用な人間達が右往左往している世の中
だから、こういう企画があってもいいのかもしれない。
先日の海賊ラジオとは違う感性で(いやまったく^^;)
人々の心を代弁しているのがラジオ・パーソナリティ。
自分の好きなDJの声を聞くだけで、よく元気になれた。
群像劇のような今作の内容は確かにややベタ気味で、
彼らの演技も演出もなんだか学芸会みたいに見える。
でも、もしもこのヒトから、この一言が聞けたなら…と
期待してしまう人間の愚かさこそが人情だと思いたい。
素直になれない自分にとっては、まさにバイブルのよう。
こうしてグダグダと感想(ともいえないが)らしき文章で
映画に対する想いを打ち明けている私も、同様なのだ。
(大切な人が元気なうちに引き出しから出しておこうね)
でも、似たような作品を見続けたものとして、比べてみると不満が出ます。
まず「ラブレター」という点では、半年前に公開された同じ松竹作品の『60歳のラブレター』とまず比べたくなります。
『60歳のラブレター』は3組のカップルのエピソードが関連しながらも、エピソードが同時進行する点で、とても本作によく似た構図になっています。しかし、『60歳のラブレター』のほうが、カットごとに必ず笑いや泣き所を盛り込んで、画面に観客を引き付けていたのに比べて、本作の中盤は、いささか退屈な展開。
カット割りのテンポが速く、ワンカットのシーンを充分決めずに、次々場面展開するのが辛かったからです。筋について行けないほどではありません。
それは、主人公であるJWAVEのDJ真生(まい)が何度もわざわざ函館のリスナーにまで直接足を運んで、一家の家庭事情に首を突っ込みこと。その一家の祖父が息子宛にリクエストの手紙を書くかどうかが、JWAVEの日曜特番を左右するほどのネタに祭り上げてしまう設定にシラけたからです。
そんなにそのおじいちゃんを笑わせることが物語に展開にとって重要なのでしょうか。
いくら真生が父親のトラウマを抱えているとはいえ、1枚のハガキからそこまで展開してしまうのは、オーバーというものでしょう。同様なハガキが来たら、いちいち反応するものでしょうか。
だから、『引き出しのなかのラブレター』がJWAVEの特番に決まる過程も、大げさすぎだと感じたのです。こんなの番組のなかの1コーナーで充分です。
だから冒頭から、『引き出しのなかのラブレター』をオンエアーさせて、リクエストののハガキを読み上げるなかで、リクエストした人たちの物語を展開すべきでした。
顔が見えないラジオ放送には、その分こころがよく伝わるところがあります。同じ函館が舞台の映画『LittleDJ~小さな恋の物語』では、主人公の少年DJが語る言葉とオールディズの音楽が感動を紡いでいました。
だから本作でもDJシーンを活用すべきだったでしょう。終盤のシーンが感動的だったのは、函館のおじいちゃんの思い出のJAZZの名曲『煙が目にしみる』が、登場人物達の心の中の思いによく合っていたから。もっとこの曲に絡む登場人物のエピソードが伏線としてあってもいいのではなかったかと思えました。
但し、真生のDJの仕事にずっと反対して、疎遠になっていた父親からの手紙を開くときのタイミングはよかったと思います。
生きているうちにもっと話したかったと思う。忙しさにまぎれて父親からの手紙(遺言)があったのに、机の中に入れたまま読まない。それを読む時がもう一つのクライマックスになっています。
誰しも、引き出しの中に大事なメッセージを入れていることでしょう。言いたいことを手紙に書き、ポストに入れられず引き出しに入れたままという場合も。
そんな人に伝えることの必要性と、勇気を与えてくれるドラマです。
きっかけとなる高校生の直樹(林遣都)が「祖父(仲代達矢)と父親(豊原功補)と仲が悪く話をしないので、何とかならないか」「笑ったことがない祖父を笑わす方法はないか」と。案外、身近な人に言いたいことが言えない、こんなケースは多いものです。
自分のことも振り返り、真生は、直樹のことを心配し、ラジオで取り上げること自体は分からなくもありません。
「家族との距離が埋められない」「恋人との関係に悩む」「近くにいる人に気持ちを伝えられないでいる」などの人たちに、ラジオを通して手紙を書き、それを伝えるというのが本作のキモになっている部分です。
そういう点で、この映画はある意味でラジオのリスナーが主役とも言えるでしょう。
演じている常盤貴子も、リスナーの悩みをどう解決したらいいかを、一緒に主人公になりきって悩み考えたそうです。
自ら女優としての生き方と重ねて、前半は悩みも多いが、次第にたくましくなっていく姿。それはキャリアを積んで人間は大きくところに似ているのだと言うのです。何をしたいかが分かってくると。
真生も初めは自分の意見など何も言えなかったのが、それを発表し、言えるようになれます。そのプロセスは、女優としての私の生き方とシンクロしているそうです。映画の前半は昔の私で、後半は今の私に近いのではないかと、共鳴しながら演じたと常盤貴子は試写会のインタビューで答えていました。
但し、映画の真生も、どちらかというと自分の意見を飲み込んでしまうけれど、常磐の場合は割と思ったことは口に出して伝えるタイプのんだそうです。だから、反対に失敗したケースもある(笑)とか。
試写会では、用意した原稿を噛むなど、練習した割には、本職のDJにイマイチというところでした。
ところで、真生も恋人から海外勤務についてこないかとプロボーズされていました。その求愛に伝えるべき言葉が、ラストで明かされなかったことも残念です。
本作でも林遣都が、孫の直樹役でいい味を出していました。今月末の『が強く吹いている』では、さらに素晴らしい演技を披露しているのでご注目を!
今まで、照れくさくて書けなかったラブレターを、勇気を出して書く気持ちにさせてくれた作品だ。J-WAVEのラジオも作品を盛り上げるいい手段だ、さあこれから書こう!!!
大切な人に自分の気持ちを伝えるって、ステキなことなんだなぁと素直に感じます。
観終わったあとに、心に温かいものが残った感じがします。