セイント
プロット
アメリカ
06月28日 1997 台灣上映
セイント・クララ
プロット
イスラエル
06月14日 1997 台灣上映
愛の悪魔 フランシス・ベイコンの歪んだ肖像
プロット
イギリス・日本合作
03月13日 1999 台灣上映
本站關於電影海報,預告,影評,新聞,評論的綜合性電影網站,我們提供最新最好的的電影以及在線影評,業務合作亦或意見建議請電郵我們。(Copyright © 2017 - 2022 KKTM)。聯絡我們
セイント・フランシス評論(4)
最近こういう
社会的強者じゃなくて
ちょっと下品だけど親しみが持てる人が出てきて
価値観の多様性を軸に話が進む、みたいな
そんな映画が少なくない気がする
『カモン カモン』に近いモノを感じます。
でも、コッチのが全然いい。
アレは、つまらなかった(笑)
ジョーン・ジェットやランナウェイズの名前が出てきますが、興味を持った方は、
『 ジョーン・ジェット/バッド・レピュテーション』ってドキュメンタリー映画が、オススメです。
素晴らしいドキュメンタリーです。
脱線したけど、この映画けっこう面白かったです♪
あたしの様な偏見の塊が、始めは見る気持ちになれなかった。こんなことを書き出せば... 自分の周りの変化が速くてコンサバにしがみ付くことしか出来ないなんて自己嫌悪も浮かんでしまう。何故なら?
『Saint Frances』ではなくて...
"Saint Period, which is mostly what this movie is about..."なんて言われるかもしれないけども映画の伏線として映画の題名となっているセイント・フランシスが起こすブリジットへの啓示の表れと取った方が無難なのかもしれない。
" I apologize." や "You're sweaty." って、聞こえはいいけど子供から言われると都合の良い人を代表しているようにも聞こえるし、その事が示すように彼らアメリカ人の誇らしげなリベラルな感性は、正面玄関に"Hate Has No Home Here"のステッカーが貼られ、芝生にも"Black Lives Matter"の看板が掲げられている。もっと柔らかい当たり障りのない言葉を使ったとしても日本に住む限りLGBTの彼らの家の玄関や庭には偏見が優先され、悲しい話し、決して拝むことさえも出来やしない。
" I apologize."
日本語の様に多様に物事を表す言語が無駄に多い事から日本語を英訳する時の不便さはよく言われる事として "I'm sorry." との単純な違いがこの映画のフランシスをシンボライズしている一つの要因であり質感と言えるかもしれない。
それはブリジットの内心を次のセリフで表現されている。
Bridget: Hey, can I show you something? It's really gross.
Jace: Yeah, okay.
Bridget: Do you think that's it?
Jace: I don't know. How big is it suppose to be?
Bridget: Online it said it's about the size of a sweet pea.
Jace: Like a pod, pea pod?
Bridget: Like an individual pea inside the pod.
Jace: Oh.
Bridget: It's about this size. There's been a lot of blood though. So it
could just be another clot. I hate how they compare it to cute
things, you know? Like a raspberry, a kumquat, a tomatillo.
Jace: When really it's just the size of a rat turd.
このジェイスとブリジットとの会話は、彼女が中絶薬を服薬した後に胎児と思われるモノを彼女がジェイスに見せるときに言ったセリフでシナリオとしたらさほど重要とは思われないけども彼女のあっけらかんとした態度が何故か割り切れずに個人的には嫌なシーンとなっていた。しかし、この事が後に彼女の本音が分かる伏線となっている。
Bridget: I'm an agnostic feminist(crying). という言葉に...!
彼女は自分がジェイスと排他的関係であるとは考えていないので、うぬぼれた音楽家と恋に落ちることさえする。しかし、彼女の抱えるいくつもの悩みの一つを解決した時に、特にこの主題に対する残酷さが明らかにされた事で恥ずかしさと屈辱の瞬間を繰り返す原因となる身体的な問題を生理という形で彼女に残す様になってしまう。
映画のメイン・ストリーはロマンスではなく、ブリジットが 30 代の女性として、自分が何を求め、何を必要としているのかを理解するのに苦労していることに関係している。あらゆる面からの圧力に直面し、例えば孫を明らかに期待している母親や理想を絵にかいたようなキャリアを積んでいる大学時代の知り合いなど... etc.
大げさなエンパワーメントと脱抑制との二重性は、あまり目に見えない社会的および感情的なタブー全体のメタファーとして機能し、ブリジットは特権的な怠け者なのか、それとも空虚でステータスとソーシャルメディアに取りつかれた社会の感情的に正直な副産物なのか?を彼女自身が "agnostic" と形容することが出来るぐらいに彼女は新しい方向性を見つけようとしているのかもしれない。
それもこれもカトリック教会ではゆるしの秘跡である告解によるフランシスの軌跡によって(彼女の演技には幼さから多少作為的なところがある... 厳しくて失礼)
この映画の一番のお気に入りなところは、フィルムスコアとしてのクイン・ツァンによる♪Bridget's Themeであり、この映画『セイント・フランシス』の作中に一曲目が流れ、そしてエンディング・クレジット中に2曲目を流す粋な計らいをしている。
でもこの映画よりも受け入れやすかった映画がある。想い出深いSci-Fiテレビ・ドラマの金字塔『トワイライトゾーン』のSeason4、第8話『Miniature』でのフィル・スコアとしてモーツァルトの♪ピアノソナタ第11番を同じように流していた『17歳の瞳に映る世界』の方が格段に趣が好きだった。